こんなツイートをみつけたので
・いじめとは
まずいじめというものを暴行や恐喝などの犯罪行為と本人の性格依存のぼっち化にわける必要があると思います。
暴行や恐喝の方は警察に通報するが最強にして唯一の対処法であると思います。
学校は何故か警察の介入を嫌がりますが警察もどうでもいい交通違反の取り締まりをするよりはよっぽど建設的だと思うので積極的に介入するべきだと思っています。
児童生徒の証言能力の危うさに関しては教室に監視カメラ設置で解決すればいいと思います。
丁度いい公共事業になるのではないでしょうか。これも無駄に道路を掘り返すより建設的な金の使い道だと思っています。
・ぼっち化
次にいじめと言われているものの多くを占めるであろうぼっち化について。
これは正直防ぎようがないと思います。
クラスで孤立するのは大体本人に問題があると思われるうえ
多くて40人、同性20人の環境で妥協できるレベルの友人を作るのってしんどいですよね。
あと私も経験があるのですが、普段話す人がいたところで修学旅行の3人組とかであぶれちゃうことってあると思うんです。
そこで対策として「友達が必要なシチュエーションを徹底的に排除し一人で生きていくことを可能にする」を提唱します。
具体的にいうと放送大学くらい一人でもなんとかなる小中高にするべきだと思っています。
まず前提として授業内容の標準化、アーカイブ化
これによって休んだ場合の格差、学校毎の格差を極力減らすことです。
アーカイブ化した授業を文科省のHPとかで観れるようにしたらいいんではないでしょうか。
そして中学以降は細かく学力証明テストを作って中1程度認定、中2程度認定・・・とか作ればいいと思います。
高校なんかは現状の小学校6年生レベルの取得を目指すところ、中学校3年レベルを目指すところ、と分ければいいと思うんですよね。
あとは都会の中高一貫私立では現状でも普通に行われていることですが、高校に行かないで高1相当の年齢で現状の高3レベルのテストに合格を目指したり。
まぁ本題のいじめの話とはちょっとそれますが、何が言いたいかと言うと地方の教育格差なんとかしようぜってことです。
クラス分けは上述のテストの点数を基準にした習熟度別にしてなるべく同質の集団ができるようにします。
異質な集団とすることで学べることはあると思いますが、都会では現状でも中学の時点で頭のいい比較的金持ちな私立組とそうではない公立組に完全に別れてしまっている(その割に特に社会の分断なども顕在化していない)以上、実際のところ大した問題ではないと思われます。
次に行事の類を徹底的に排除します。運動会、文化祭、始業式、就業式、修学旅行に至るまで。
そういう行事がないことで友達を絶対に作らなければならないという状況から解放されます。
思い出が~という方もいるでしょうが、リア充はほっといても旅行とか行くでしょうし非リアはそもそも楽しんでいないので問題ないと思います。
先生の負担も減るし金もかからなくなるしいいことずくめな気がしています。
最後に難しいのがはーい二人組作ってのシチュエーション。
これは必ずしも全部排除できないと思うんです。
例えば英語の発音なんてどう考えても声に出して読んで確認するのが合理的なわけですからね。
これは習熟度別のクラスで席替えとかを完全にあいうえお順など固定して常に隣の人と行うと厳密に定めるしかないような気がします。
大人になるとこういうのは割り切れるんですが子供の社会だとこういうところからヒエラルキーできてしまうので難しいんですよね。
尤も、学校が友達を作るのがマストではない世の中になったら、子供の世界も大人化して割り切れるようになる気はします。
・最後に
とこんなことを考えていますが。どうでしょう。
少なくとも(費用や実行のための準備は無視するとして)ここまでやればいじめは減りはすると思うんです。
ただこういうことを考える奴は絶対に学校の先生にはならないし成りたいと思っても採用されないので学校から永遠にいじめが無くなることはないと思います。
現在進行形でいじめられている人はとりあえず学校に行くのをやめてみることをお勧めします。
行かなくても結婚は遠のくけど案外なんとかなりますよ。
今日教育基礎の授業で「いじめをなくすあるいは減らす方法」について議論させられたんですよ。みんなどんな意見出したと思います?「みんな仲良くなれるようレクリエーションなどの企画」「ぼっちを作らないように文化祭や体育祭させる」ですよ?やばくないですか?やばい
— ふぉるむ (@forme_nico) 2018年10月3日
・いじめとは
まずいじめというものを暴行や恐喝などの犯罪行為と本人の性格依存のぼっち化にわける必要があると思います。
暴行や恐喝の方は警察に通報するが最強にして唯一の対処法であると思います。
学校は何故か警察の介入を嫌がりますが警察もどうでもいい交通違反の取り締まりをするよりはよっぽど建設的だと思うので積極的に介入するべきだと思っています。
児童生徒の証言能力の危うさに関しては教室に監視カメラ設置で解決すればいいと思います。
丁度いい公共事業になるのではないでしょうか。これも無駄に道路を掘り返すより建設的な金の使い道だと思っています。
・ぼっち化
次にいじめと言われているものの多くを占めるであろうぼっち化について。
これは正直防ぎようがないと思います。
クラスで孤立するのは大体本人に問題があると思われるうえ
多くて40人、同性20人の環境で妥協できるレベルの友人を作るのってしんどいですよね。
あと私も経験があるのですが、普段話す人がいたところで修学旅行の3人組とかであぶれちゃうことってあると思うんです。
そこで対策として「友達が必要なシチュエーションを徹底的に排除し一人で生きていくことを可能にする」を提唱します。
具体的にいうと放送大学くらい一人でもなんとかなる小中高にするべきだと思っています。
まず前提として授業内容の標準化、アーカイブ化
これによって休んだ場合の格差、学校毎の格差を極力減らすことです。
アーカイブ化した授業を文科省のHPとかで観れるようにしたらいいんではないでしょうか。
そして中学以降は細かく学力証明テストを作って中1程度認定、中2程度認定・・・とか作ればいいと思います。
高校なんかは現状の小学校6年生レベルの取得を目指すところ、中学校3年レベルを目指すところ、と分ければいいと思うんですよね。
あとは都会の中高一貫私立では現状でも普通に行われていることですが、高校に行かないで高1相当の年齢で現状の高3レベルのテストに合格を目指したり。
まぁ本題のいじめの話とはちょっとそれますが、何が言いたいかと言うと地方の教育格差なんとかしようぜってことです。
クラス分けは上述のテストの点数を基準にした習熟度別にしてなるべく同質の集団ができるようにします。
異質な集団とすることで学べることはあると思いますが、都会では現状でも中学の時点で頭のいい比較的金持ちな私立組とそうではない公立組に完全に別れてしまっている(その割に特に社会の分断なども顕在化していない)以上、実際のところ大した問題ではないと思われます。
次に行事の類を徹底的に排除します。運動会、文化祭、始業式、就業式、修学旅行に至るまで。
そういう行事がないことで友達を絶対に作らなければならないという状況から解放されます。
思い出が~という方もいるでしょうが、リア充はほっといても旅行とか行くでしょうし非リアはそもそも楽しんでいないので問題ないと思います。
先生の負担も減るし金もかからなくなるしいいことずくめな気がしています。
最後に難しいのがはーい二人組作ってのシチュエーション。
これは必ずしも全部排除できないと思うんです。
例えば英語の発音なんてどう考えても声に出して読んで確認するのが合理的なわけですからね。
これは習熟度別のクラスで席替えとかを完全にあいうえお順など固定して常に隣の人と行うと厳密に定めるしかないような気がします。
大人になるとこういうのは割り切れるんですが子供の社会だとこういうところからヒエラルキーできてしまうので難しいんですよね。
尤も、学校が友達を作るのがマストではない世の中になったら、子供の世界も大人化して割り切れるようになる気はします。
・最後に
とこんなことを考えていますが。どうでしょう。
少なくとも(費用や実行のための準備は無視するとして)ここまでやればいじめは減りはすると思うんです。
ただこういうことを考える奴は絶対に学校の先生にはならないし成りたいと思っても採用されないので学校から永遠にいじめが無くなることはないと思います。
現在進行形でいじめられている人はとりあえず学校に行くのをやめてみることをお勧めします。
行かなくても